togetherという英語の話

YouTubeのある動画のコメントに目が留まった。

「Dancing bring people together.」

この文には何か僕の心を動かすものがあった。

考えた結果この文中の「together」という単語の内容、それが僕に欠けている何かであり、そして僕だけでなく人間が根源的に求めてやまない何かではないかという結論に至った。

 

調べるとその語源は「to(〜へ)」+「gether(集める)」

僕のイメージはこんな感じ。

何本もの細い道から人が集まってきて、それが合流して太い道となりそこを共に歩いていく。道の先には到達点があるのではなく、ただ並んで歩いている姿、それがtogetherなのだ。

 

ダンスでなくてもいいから人と関わるツールを見つけてただそれを楽しむ生活をしたいですね。

 

 

努力できるのも幸運だ、だから感謝を忘れない。

こんにちは。前回唱えた幸福有質量論、その補強の為に人格を構成する二大要素の「遺伝」と「環境」の観点から話をしたいと思います。

 

まずは遺伝について。長い足の遺伝子、整った顔の遺伝子と、遺伝は身体的な形質を司りますね。

 

そうだそうだ、先天的に世間での「カッコいい」「可愛い」といった外的特徴を得た人は幸運に恵まれたのか!

 

これだけでは安直すぎますね😅

「外的特徴は整形やケアといった本人の努力でなんとかなるはずだ」という反論もあるでしょう。

 

ここでは脳も遺伝子の支配下にあることを強調しておきます。何を言いたいかというと、努力ができるかできないかも脳内物質の量によって決まるのです。

 

この情報、びっくりですよね😮

僕は最初知ったときは絶望を覚えました。なぜあんなに心が沈んだのでしょうか。当時の日記があるのですが、それがまた痛々しいんです。

 

「そうだ、俺には設計図があるんだ。」

「こうなるべきだ、という体の内部から来る命令に逆らえないんだ。」

「俺は多少質感がいいだけで機械と本質は変わらない。それを心から好きになれるのか。」

「そもそも心は物質の反応なのだろう?」

「こんなことを考える自分が嫌だ。」

「それも化学反応なんだ。」

「熱があるはずだ。それで終わりにしよう。」

 

それでも載せちゃいます。そのままを書いたつもりの日記なんですが見返して初めて気づくことがありました。まあ、推理してみれば分かることではあるんですが心身の分離の傾向が文中に見られます。やっぱり精神が定められた理屈のままに揺れるのは認めたくないんですよね。そこまでの作用も脳内物質の反応なんですけど。深く考えちゃうとまた辛くなりそうだ…

この現象に名前でも付けてこの話題は終わらせますか。名付けて「独立感情への連鎖的幻滅」です。かっこいいですね。

 

話が脱線してしまいました。今回書きたかったのは努力できるのも才能ということです。


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次回はもう少し遺伝の内容について話そうと思います。

ブログ開設、また感謝を忘れないように。

ブログを解説しました。ただ日頃思ったことを書き留めていきます。暇な人は見ていってください。

早速ですがここに幸福有質量論を提唱します。

これは幸福には質量があり、故にその密度が高い場所は引力を有して周りの幸福を引き寄せるという理論です。その理屈に沿うと、現実世界の幸福には大きな偏りが生まれます。世の不平不満の原因となるのは概念ではなく実体として在る幸福なのです。

その論拠は性格を形成する要素と大きく関わってきます。ここでの性格というのは「陽気」や「頑固」といった人格の側面に留まらず、「この人は運動能力が高い」とか「この人は頭がいい」といった他者に対して現れるその人の全般的な特徴をいうこととします。「character」という英単語が似たような意味なのかな?

こうした性格がもたらすものが多かれ少なかれの幸福なのです。幸福にマイナスは無いという立場です。幸福なき生は無為であり、それだけで不幸なのですから。

人間の性格は主に「遺伝」と「環境」の二つにより形成されるというのが定説です。当ブログはこの説に則って話を進めます。

切のいいところで今回は終わり。