努力できるのも幸運だ、だから感謝を忘れない。

こんにちは。前回唱えた幸福有質量論、その補強の為に人格を構成する二大要素の「遺伝」と「環境」の観点から話をしたいと思います。

 

まずは遺伝について。長い足の遺伝子、整った顔の遺伝子と、遺伝は身体的な形質を司りますね。

 

そうだそうだ、先天的に世間での「カッコいい」「可愛い」といった外的特徴を得た人は幸運に恵まれたのか!

 

これだけでは安直すぎますね😅

「外的特徴は整形やケアといった本人の努力でなんとかなるはずだ」という反論もあるでしょう。

 

ここでは脳も遺伝子の支配下にあることを強調しておきます。何を言いたいかというと、努力ができるかできないかも脳内物質の量によって決まるのです。

 

この情報、びっくりですよね😮

僕は最初知ったときは絶望を覚えました。なぜあんなに心が沈んだのでしょうか。当時の日記があるのですが、それがまた痛々しいんです。

 

「そうだ、俺には設計図があるんだ。」

「こうなるべきだ、という体の内部から来る命令に逆らえないんだ。」

「俺は多少質感がいいだけで機械と本質は変わらない。それを心から好きになれるのか。」

「そもそも心は物質の反応なのだろう?」

「こんなことを考える自分が嫌だ。」

「それも化学反応なんだ。」

「熱があるはずだ。それで終わりにしよう。」

 

それでも載せちゃいます。そのままを書いたつもりの日記なんですが見返して初めて気づくことがありました。まあ、推理してみれば分かることではあるんですが心身の分離の傾向が文中に見られます。やっぱり精神が定められた理屈のままに揺れるのは認めたくないんですよね。そこまでの作用も脳内物質の反応なんですけど。深く考えちゃうとまた辛くなりそうだ…

この現象に名前でも付けてこの話題は終わらせますか。名付けて「独立感情への連鎖的幻滅」です。かっこいいですね。

 

話が脱線してしまいました。今回書きたかったのは努力できるのも才能ということです。


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次回はもう少し遺伝の内容について話そうと思います。